らーめんてーぶる

Lamentable(残念な、ひどい)な英語からの脱却を目指して、地味に奮闘中。NHKラジオ講座、TOEIC、1000時間ヒアリングマラソンの学習記録と感想のブログ

広告


英語以前に日本語そしてマインドの問題か

きのう、漠然とした日本語を英訳する難しさについて書いた後、さらに考えた。

(参考:『そこを何とか』をどう訳すべきか?

日本の社会では、言葉を聞く側が意図を『察する』ことが『お約束』になっているから、言葉を発する側は自分の言わんとすることを明確にする努力をつい怠ってしまって、ある種の言語能力が退化してしまっているのかもしれない。もちろん、自分自身も含めて。

それで、以前読んだ本『日本語は映像的である-心理学から見えてくる日本語のしくみ』に書かれていたことを思い出した。

日本語というのは、その構造からして『共同注視』(たとえるなら、お母さんが子どもに、対象物を指さして同じ視点から物を見ながら説明するような)の言語である、とのこと。

実際、同じものを見ているという前提、さらには同じ価値観、同じ思考回路で相手も動くはずだと思ってるからこそ、『まぁ、そこを何とか』なんて言葉が出てくるんだろう。

ちなみにこの本の著者は、自閉症児のコミュニケーション障害と支援について研究している障害児心理学の専門家で、独自の視点から指さして見せてくれる日本語の姿が新鮮で面白かった。

日本語は映像的である-心理学から見えてくる日本語のしくみ

日本語は映像的である-心理学から見えてくる日本語のしくみ

  • 作者: 熊谷高幸
  • 出版社/メーカー: 新曜社
  • 発売日: 2011/10/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

広告

 

広告