らーめんてーぶる

Lamentable(残念な、ひどい)な英語からの脱却を目指して、地味に奮闘中。NHKラジオ講座、TOEIC、1000時間ヒアリングマラソンの学習記録と感想のブログ

広告


ある世捨て人の物語

アメリカ・メイン州の森で27年間、誰にも知られることなく、一人きりで暮らした男性についてのノンフィクション、『ある世捨て人の物語: 誰にも知られず森で27年間暮らした男』。

 

ある世捨て人の物語: 誰にも知られず森で27年間暮らした男

ある世捨て人の物語: 誰にも知られず森で27年間暮らした男

  • 作者: マイケル・フィンケル,宇丹貴代実
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2018/07/10
  • メディア: 単行本
 

 

原書はこちら 

The Stranger in the Woods: The Extraordinary Story of the Last True Hermit

The Stranger in the Woods: The Extraordinary Story of the Last True Hermit

  • 作者: Michael Finkel
  • 出版社/メーカー: Knopf
  • 発売日: 2017/03/07
  • メディア: ペーパーバック
 

◆hermit [hə́ːrmit]:世捨て人、隠遁者

 

誰にも知られず森で27年間暮らした』って、いったい何故? どうやって?

というか、そもそもそんなことが可能なのだろうか?

本のタイトルを見ただけで、疑問がわきまくる。

 

27年目の御用

誰にも知られていなかった27年間の隠遁生活が明るみに出たのは、その『隠者』こと、クリストファー・トーマス・ナイトが、2013年、キャンプ施設から食料を盗んだところを取り押さえられたため。

 

尋問を受ける中で、いつから森で暮らしているのかと訊かれたナイトは、

「チェルノブイリ原発の事故があったのは何年ですか」

と聞き返す。

つまり、1986年から2013年までまでの27年間、たった一人で森で生活していた。

(失踪当時は19歳だった)

そしてその間、不法侵入および窃盗(その回数、1000回以上!)で暮らしを立てていたのだった。

 

いっそのこと、自給自足の生活をするわけにはいかなかったのだろうか?

本書の記述によれば、ナイトは元々、釣りも狩猟も得意で(10代の頃すでにヘラジカを仕留めて自力で解体した経験あり)、その気になれば自給自足も可能だったように思えるけど、彼はそうしなかった。

なぜか?

 

森の暮らしと自分ルール

ナイトが暮らしていたメイン州の森は、冬場はマイナス15℃を上回ることがないという過酷な環境。

そんな極寒の冬を、手作りの野営テントで何十回も越したなんて、驚異的だ。

ナイトの野営地には、高さ3m、長さ3m半ほどの、両端がトンネルのように全開になったA形構造のテントを中心に、洗い場、トイレ、ゴミ捨て場等も設えられていた。

この野営地の近くには別荘地やキャンプ施設があり、冬場は人気がなくなる。

ナイトは、食料や生活物資をすべて、別荘やキャンプ施設から『調達』していた。

燃料用のガスボンベや、時にはベッドのマットレスまで。

ただし、高価なものには一切手を付けず、こじ開けた窓や扉はちゃんと元どおりにして、現場を後にする。

ナイトのDIYスキルは並外れており、車やボートのバッテリーを直列・並列に自在につないで電源にしたり、水まき用のホースをガスホースに転用して、コンロの熱源にしたりしていた。

焚火は一度もしなかった。

煙で野営地が見つかってしまうかもしれないから。

 

こちらのガーディアン記事に、実際の野営地の写真あり。

テントやポリバケツがスプレーで着色されているのは、誰かが近くに来たり、上空から捜索が行われた場合に目立たないように、迷彩模様を施したもの。

 

隠者の分類

おそらく、ナイトは徹底的に世間から自分を切り離したくて、それゆえにこっそり人の物を盗んで生きていくしかない、という矛盾した状況に陥ってしまったのだと思う。

ジャーナリストの著者によるこの本には、ナイト本人、および関係者への取材の他、古今東西の隠者の記録や、孤独に関する考察などが出てくる。

本書によれば、歴史上のほぼすべての隠者は、抗議者、巡礼者、追求者に分類できるという。

(『抗議者』の一類型として、日本の『引きこもり』も挙げられていた)

けれども、こうした記述を読めば読むほど、ナイトはそうした隠者の範疇には収まらないように思える。

例えば、宗教的な隠者はそれによって人々の尊敬を得られるし、そうではなく、世間から変人扱いされる隠者もまた、それはそれで変わり者という立ち位置を与えられているわけで、ナイトのように人間社会における認知さえも拒絶するのとは、本質的に異なる気がする。

 

沈黙はことばに翻訳できない

そもそもナイトが世間に背を向けた理由は、本人にさえよくわからない。

「自分の行動を説明できないんだ」

と彼は言う。

「姿を消したとき、なんの計画もなかったし何も考えていなかった。ただ、そうしただけだ」

 

そうして、当時19歳だったナイトは、1年弱やっていた警報器設置の仕事を突然辞めて、そのまま町を出た。

一見、よくある若気の至りのようにも思えるけど、それから27年、完全なる孤独を貫いたことを考えると、本人に自覚はないながらも、彼の中ですでに機が熟していたのではないかと思う。

本の終盤で、ナイトのことを『人類からの難民』と表現していたのが印象的だった。

 

ナイト本人は、自分の経験した隠遁生活と孤独について、こんな風に語っている。

これほど膨大な期間をひとりで過ごすのはどんな感じか、的確な表現はできない、とナイトは言う。沈黙は、ことばに翻訳できない。

(中略)

「孤独は貴重なものを増大させる。それは否定できない。孤独は自分の知覚を増大させてくれた。だが一筋縄ではいかない。その増大した知覚を自分に向けたら、アイデンティティーが消えた。聴衆、つまり何かをやってみせる相手はひとりもいない。自己を規定する必要がない。自分は無意味になったんだ」

 

皮肉な結末

27年間、森で隠遁生活を送っていた男が窃盗で逮捕されたというニュースは全米に流れ、誰よりも静かな生活を望んでいたナイトは、メイン州一有名な人物になってしまう。

 

参考:Christopher Thomas Knight - Wikipedia

 

ナイトの隠遁生活を題材にした歌:

(この歌、事実関係を並べただけじゃん、という気も。。)

 

人間本来の姿

ナイトにとっては辛い状況だろうけど、人々がこうして隠者に興味を掻き立てられるのもよくわかる。

元来、人間とは、

わたしたちホモ属は250万年前に登場して、存続期間の99パーセント以上のあいだ、全員が遊牧狩猟採集民の小集団で暮らしていた。その集団は緊密な共同体だったかもしれないが、人類学者の推測によると、ほぼだれもが生活の大部分を原野で静かに過ごし、ひとりきりか小人数で可食植物をあさったり、獲物に忍び寄ったりしていたという。これが、本来のわたしたちの姿なのだ。

 

人間にとって孤独な状態がデフォルトというのは、個人的にすごく納得がいく。

実際、世間のしがらみから自由になりたいという思いは、誰もが多かれ少なかれ持っているはず。

特に日本には、潜在的隠者が相当数いるような気がするのだけど、どうだろう?

 

関連記事

 

広告